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福岡県のお城大全集

福岡のお城

福岡のお城を紹介します。


小倉城
別名 勝山城、涌金城、指月城

[豊前] 福岡県北九州市

平均評価:★★★☆☆ 3.47(70位) 見学時間: 1時間7分(59位) 攻城人数: 1747人(89位) 行きたい: 122人(101位)

小倉城細川忠興の居城として知られ、唐造り(南蛮造り)の天守が建てられたことでも有名です。幕末期には長州藩を攻める第一線基地となりました。現在は勝山公園として整備されており、一部の石垣や堀が残り、唐造りの天守も再建されています。隣接する小倉城庭園には奈良や京都から職人を呼んで建てられた書院造りの大名屋敷が再現されています。また、北九州市役所の展望フロアからは小倉城を一望することができます。


福岡城
別名 舞鶴城、石城

[筑前] 福岡県福岡市

平均評価:★★★★☆ 3.55(59位) 見学時間: 1時間20分(32位) 攻城人数: 2046人(65位) 行きたい: 106人(137位)

福岡城黒田孝高(官兵衛)・長政父子によって築かれた城で、江戸時代を通じて福岡藩黒田氏の居城として知られています。城の規模としては九州一の巨城で、築城の名手と謳われる加藤清正もこの城を評価しています。現在、城跡の大半は舞鶴公園として、また当時の外堀が大濠公園として整備されています。さらに重要文化財に指定されている多聞櫓のほか、祈念櫓や名島門などの遺構が残っており、当時の様子をうかがうことができます。


大野城
別名 筑前大野城

[筑前] 福岡県大野城市

平均評価:★★★☆☆ 3.16(--位) 見学時間: 1時間16分(--位) 攻城人数: 1019人(156位) 行きたい: 98人(157位)

大野城飛鳥時代大和朝廷によって築城された、我が国最古の古代山城です。「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗を喫した倭国(後の日本)が大宰府防衛を目的として築いた城であると考えられています。『日本書紀』に登場する城で、日本100名城に選ばれています。現在は「四王寺県民の森」として整備されており、石垣や土塁を見ることができます。なお、大野城市の名称はこの大野城に由来しています。


久留米城
別名 笹原城篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城

[筑後] 福岡県久留米市

 平均評価:★★★☆☆ 3.21(--位) 見学時間: 49分(--位) 攻城人数: 835人(178位) 行きたい: 80人(216位)

久留米城有馬豊氏の居城として知られています。石垣や堀はいまも残っており、往時の雄姿をしのぶことができます。現在は本丸に有馬記念館篠山神社が建てられています。明治時代初頭に城の建造物の大半は解体されましたが、本丸の水手御門が久留米市草野町草野の寿本寺山門として移築現存しています。また、二の丸の乾門(二の門)が京町にある日輪寺山門として移築現存されていましたが老朽化により解体されてしまい、のちに同じ場所に再建されました。


●水城
[筑前] 福岡県太宰府市

平均評価:★★★☆☆ 2.97(--位) 見学時間: 40分(--位) 攻城人数: 742人(199位) 行きたい: 67人(265位)

水城は663年(天智2年)の「白村江の戦い」に大敗した大和朝廷が、大宰府防衛のためにその翌年に築いた防御施設です。『日本書紀』に記載された、記録に残る日本最初の城でもあります。正確には福岡平野からの外敵を防ぐために築かれた土塁(大堤)で、その規模は全長1.2km、幅77m、高さ9mにわたります。ただしこのときは唐・新羅軍の侵攻はなく使用されませんでしたが、奈良時代中期の765年(天平神護元年)に対新羅外交の緊張から改修がおこなわれています。現在、跡地は国道3号線九州自動車道西鉄天神大牟田線、JR鹿児島線などにより分断されていますが、東門跡近くに石碑と案内板が建てられています。


秋月城
別名 杉本城、秋月陣屋

[筑前] 福岡県朝倉市

平均評価:★★★☆☆ 2.96(--位) 見学時間: 53分(--位) 攻城人数: 304人(335位) 行きたい: 39人(431位)

秋月城秋月陣屋)は、1624年(寛永元年)に福岡藩主・黒田長政の三男である黒田長興福岡藩支藩秋月藩の藩庁として築いた城です。この場所にはもともと秋月氏の居館があり、背後には古処山城があります。この陣屋には二重櫓や平櫓が5基建て並べられていたといわれます。現在、城址には黒田長興を祀った垂裕神社が建てられており、堀や石垣のほか、裏門であった長屋門、旧大手門である黒門が現存しています。また「筑前の小京都」と呼ばれる城下町も残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


●障子ヶ岳城
別名 障子岳城、牙城

[豊前] 福岡県みやこ町

平均評価:★★★★☆ 4.33(--位) 見学時間: 1時間40分(--位) 攻城人数: 46人(1977位) 行きたい: 51人(332位)

障子ヶ岳城は1586年(天正14年)の豊臣秀吉による九州征伐で、小早川隆景黒田孝高によって攻め落とされた城です。九州征伐では宿舎として利用され、秀吉も入城しました。もともとは1336年(建武3年)に足利尊氏の命により足利駿河守統氏が築いた城で、田河道・秋月道が通る要衝の位置にあったことから度重なる戦乱の舞台となりました。九州征伐後は豊前に入った孝高の持城となり、添田雅楽介が城主をつとめましたが、「城井鎮房の乱」に加わったため廃城となりました。現在城址には土塁や堀切などの遺構が良好に保存されています。また登城口は味見桜公園のほか数カ所あります。

 

福岡の歴史はお城にあり!

※お城を一緒に行ってくれる彼女ができたらいいかも…

 

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